ロシア旅行記 出発編

2011年 ロシア旅行記 出発編(仁川-ハバロフスク)

あーロシア語が聞こえる。そこだけは既にロシアだった。
出発の1時間前に搭乗口に着いたが、いるわいるわロシア人。
仁川空港は韓国、そこではロシア人は異様に目立つのだ。

搭乗の予告のアナウンスの後、ゲート前に我先にと並ぶ並ぶ。これがすごい。
私の座席は番号が若いし窓側。後から行ったら座りにくいかもということで
私も並ぶ。あれ、後ろから体が当たるのを感じる。
そんなに私にくっつくなロシア人。
私は前に人に当たらないように少し隙間を空けて並ぶと、

あー、割り込まれた。

早速ロシアの洗礼を受けるのであった。
さらにこの後のロシア入国審査場でも同じ目に遭うのだった。
しかし、帰国後はすっかりロシア式列の並び方(割り込み方)が
身に付き、つい成田空港で実践してしまい日本人から睨まれるのであった。

離陸後の航路が気になる。
なんと休戦状態の北朝鮮を避ける迂回航路なのだった。
敵国上空はさすがに飛べないか。

ルートは遼東半島を横切り、かつての満洲国の遼寧省、吉林省、黒龍江省の
上空を飛行。都市の名前では瀋陽(奉天)、長春(新京)、ハルビン上空となる。

 

                                         写真:ハルビン市上空

眼下には曲がりくねり流れ、やがてはアムール川に合流する大河
松花江が見える。水の色は茶色。過去に化学工場から毒液が流れ、
アムール流域のロシア人がパニックになったことで有名だ。

また、この旅のテーマの一つ戦争。
日本人が第二次世界大戦敗戦寸前の1945年8月9日、ソ連軍参戦で
この眼下の大地を南へ敗走したところだ。
奇しくも丁度66年後の2011年8月13日上空から満洲を眺めることができる
とは思いも寄らなかった。
シベリヤ抑留者慰霊碑へ行く前に、この目に納め、
当時を思い馳せるることがでよかった。慰霊碑前でのお祈りに力がこもりそうだ。
 

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